●下岡田遺跡の国史跡指定と文化行政について、お尋ねします

 先月の国の文化審議会の答申で、律令時代の古代山陽道の駅家跡である下岡田(官衙)遺跡が国の史跡に指定される見通しとなったことは、町にとって喜ばしいことであります。指定に向けて努力された関係者、いろんな方の協力に敬意を表したいと思います。

 わたくし個人的にも嬉しいことです。発掘調査は昭和38年に始まり、幼稚園から小学校の頃、毎日眺めて通園通学していました。大人たちが「昔の駅よ」と教えてくれた。そして、「きょうは井戸が出たんよ」なんて。子どもたちはさっそく覗きに行きました。たんぼのど真ん中に井戸がひょっこり出ているんですから、印象的でしたよ、覗き込んだのは覚えています。子どもとしてはわからないなりに歴史を体で実感した貴重な体験でした。その後、「あれが天智天皇や白村江の戦いのころのものか」と気づくわけです。埋め戻された田んぼ、畑を見て、実物の歴史を実感する訳です。教科書や参考書がかなわない教育効果もあると思います。

 そういう身近な遺跡が、安芸郡初の国のお墨付きを得た重みは、町の歴史の歴史として刻みたい。大げさでない町の歴史の一大エポックが、まもなく正式に決まる。このチャンスを生かし、府中町の持ち味である「歴史文化」をさらに強めた町づくりを図るべきではないか、との考えを基に、具体的に6点ほど質問します。

 もちろん今すぐという訳にはいかないでしょう。コロナ対策を始め、災害対策、子育て、高齢者福祉、と切実な取り組みが目の前に迫っておりますので、急を要する取り組みの後、長い目でみた町づくりの中に歴史文化を位置づけておく、その姿勢がまずは大切だと考えます。

 質問の第一、遺跡が国史跡の指定を受けることの重みをどう認識しているか。希少なものというだけでなく、町の一種のシンボルともなる重みがあると考えるが、見解を問います。

 町第4次総合計画には、下岡田遺跡どころか歴史文化を生かす具体的な基本施策、単位施策の記述はありません。「文化財の保存と活用を図り、町の歴史文化等を発掘するとともに体験、学習による普及を図ります。これでは府中でなくてもどこの町でも掲げる計画とも言えるでしょう。

 現在策定中の後期計画や、具体的な実施計画に、「下岡田」の文言を盛り込むべきだと考えますが、いかがか。多くの文化財が町内にあって、それぞれ貴重です。しかし国のお墨付きは別格です。それなりの扱いを位置づけることが大切だと考えます。

 質問第2点、遺跡の重要性や長年の発掘調査の成果を、広く住民に知らせるために、どんな啓発、広報をするのか。今回、立派な報告書が出来て、1500円で販売されています。私も買いました。しかし町会議員や役場の職員ですら知らない人が多いですよ。学術報告なのでちょっと難解で、私も全部読んではいませんが、写真や位置図、出土品の図版を見るだけでも興味深い。歴史上のテーマである安芸の国府と駅家の関係などの論文も盛り込んであります。増刷してちゃんとPRすべきではないでしょうか。ダイジェスト版も作ればいい。町の大きなPRです。

 啓発広報でいえば児童生徒へも考えるべきだがどうでしょうか。現在、郷土学習として町内の小学3年生に配っている副読本「わたしたちのまち府中町」には、歴史の記述はありますが、下岡田遺跡については触れていません。数年おきに改訂されているようですが、次の改訂の際は、さっそく記述の工夫をするべきですね。副読本を読んで、井戸をのぞき込みに行く子どもが出ることを期待します。

 質問第3点、史跡指定の大きなメリットの一つに国からの補助が期待されますわけですが、用地購入、公園化などをどう図っていくのか。これからの話ですが、現時点での整備計画や構想案をどう整えていくのか、見通しを含めてお尋ねします。

 質問第4点、現在建て替え中の府中公民館と歴史民俗資料館が、令和4年春というから1年数カ月後のオープンめざして工事中です。「予算をかけすぎか」の論議が議会でもありましたが、この中の展示も史跡指定を踏まえたものに当然なると思います。最大限の工夫が求められるのではないでしょうか。専門コンサルタントの力もいるでしょうが、地元の視点、わが町の宝として守っていく視点も十分盛り込みたいところです。

 そして、学芸員などの配置も検討対象ではないでしょうか。遺跡の発掘、報告書作成の間の4年間は、県教委から専門職員を派遣していました。この春までおられたですね。そうした取り組みもあって史跡が実ったのだから、県教委への要請も含めて、人的な配置を検討してもいいのではないでしょうか。決してずうずうしい要求ではないと思いますよ。町の宝というだけでなく県民、国民の宝なのですから。

 質問第5点、町外からの観光客が増えることが見込まれます。コロナ終息後のGOTO府中の観光振興も考えたいところです。史跡巡りは中高年に根強い人気です。必ず人が来ます。最近も近所の道をブラタモリしている人に尋ねられました「例の下岡田遺跡って何かあるんですか」と。私は「今は畑の横に看板だけですが、いずれ歴史公園になると思いますよ」と答えたりしました。

 近所には、早く下岡田饅頭を作れ、なんて人もいる。こないだまで土産物だった呉沙々宇ケーキはメーカーの高齢化で今はありません。昔あった「安芸国府せんべい」もありません。歴史としての「国府」を記した土産物でしたが、復活の話が出るかもしれません。

 今回の国史跡という文化面でのエポックを機に、国府の町の観光面での活性化も図られることになるでしょう。町としても観光経済の面で後押しをどう考えますか。

 そして第6点、町の歴史の総合的な活用です。律令時代だけでなく、中世の城跡、近世の庄屋の町家まで、ふちゅうには遺跡や歴史エポックのエピソードにあふれています。保存、保護に力を入れるチャンスではないでしょうか。昔から懸案の「町重要文化財」を選定して、町巡りの題材としてもいいのではないでしょうか。

 また、近隣市町を見ると、特に海田町は県重文の旧千葉家住宅、国の登録指定文化財の三宅家住宅を活用して西国街道の宿場町のシンボルとしています。隣には織田幹雄記念館もできた。東に目を転じると、広島市南区の猿猴橋かいわいの西国街道を見つめなおす行事も活発化している。旧山陽道つながりで途中の府中町が遅れをとっていては、せっかくの街道観光客を府中関所でストップさせるようなものです。関所はいりません。

 古代、神武天皇をどう扱うかはあるでしょうけど、古代から近世の経糸と、海田や広島市との横糸、これを縦横に結びつけて考える、歴史文化と観光経済の総合的な施策が問われることになります。

 何度も強調しますが、国宝級の財産、資源です。これまで眠っていたものを呼び覚ました今こそ、最大限の活用へアイデアを出す時ではないでしょうか。

 先々代のローマ法王ではありませんが、歴史を考えることは未来へ責任を持つことです。歴史を考えることは教養を身に着け心を豊かにすることでもある。将来を担う子供たちにとっても大切な資産を掘り出した、それを再確認したのが今回の国史跡指定ではないでしょうか。

 国の補助率はいくらか。律令時代ということで、奈良の平城京の大公園をイメージする訳ですが、もちろん、すぐに夢みたいなことはできません。コロナ対応、子育て支援、高齢者福祉、取り組む課題は山積ですから、歴史公園に予算を回せとは考えません。しかし国の補助ということで、どの程度、補助率は期待できるのか。

 土産だけでなく、観光、経済活性化への材料でもある。GOTO下岡田、GOTO府中。もちろん今はできませんが、アフターコロナをにらんで、少し明るい未来も描いてみることができるのではないでしょうか。

 ここは文化遺産であると同時に観光資源でもある、複合的な活用が求められるのではありませんか。行政の縦割りは、それぞれの専門性があったりして大切な役場の持ち味ですが、ここはひとつ文化と観光の両面を複合的に考える、総合的俯瞰的視点も必要ではないでしょうか。

 観光資源の商品に、きちんと歴史文化の裏付けを取ることが必要でしょう。町内の歴史文化を結ぶマップ作りにしても当然、歴史考証が求められる。府中はかつて神武天皇が東征の際立ち寄ったエピソードを町のシンボルとして誇っていた時代がありました。戦前の府中小学校校歌は「神武の誉れ」ですし、えのみやの裏には大きな顕彰碑もある。松崎八幡宮には腰掛岩もある。古事記日本書紀のエピソードを過剰に観光化することは、実証的な歴史と境目があいまいになる恐れがあるので、慎重にしたいところです。

 ただ、神話の世界だと決めつけるのではなく、記紀の記述を誇りに持ってきたという歴史を自覚しておけばいいのではないでしょうか。それだけ奥深いエピソードのある町だ、という誇りは持っていいと思います。

 ●高杉教育長にお伺いします。教育長は4年前、2016年に遺跡発掘を本格的に再開した時、新聞の取材にこうコメントしている。2016年5月10日付の新聞「町教委の高杉良知教育長は『下岡田遺跡は歴史の町、府中のルーツともいえるシンボル的存在。地元の理解を得ながら保存し、町民の心のよりどころとなる場にしたい』と話す」。その思いはさらに高まったのではないですか。今やシンボル「的」ではなく、「シンボルそのもの」と言えるのではないですか。

 町内のお宝の中でも別格なんだと。もちろん、重要性は知られていたところでが、これまで町内の評価は今一つだったのではないでしょうか。今回の指定も「落選ではないか」という下馬評が高かったですよね。いわゆる決定的証拠である築地塀の跡が掘っても掘っても出てこなかった。地域の理解が得られるかどうかの問題もあった。ところが発掘調査で証拠を積み上げて、研究を深めて申請したところ、文化庁の方が「こりゃ貴重だよ」となったわけですよね。山陽道の駅家は史跡としては兵庫県に次いで2例目です。たった二つ。

 地元の方が控えめに見すぎていたというところではないでしょうか。テレビの「なんでも鑑定団」で言えば、本人評価額「1万円」だったところ、じゃじゃーん、「何と100万円」パチパチパチですよ。すごいぞ下岡田。

 ということで、あらためて教育長、歴史的文化的な価値について、教育長の「鑑定結果」を、お願いします。

 いささか長い質問になりました。井戸の底にはまり込んで申し訳ありません。町の宝です。よろしく。

下岡田遺跡の国史跡指定と文化行政について(2020年12月定例会一般質問)

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